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「やっと肩の荷がおりて、自由になれた気がするね」。
今回のミシュラン1つ星獲得に関して、満面の笑みで吉野シェフは語る。
こちらも思わず笑顔になってしまうほどに、喜び溢れる表情。
しかしその「自由」という言葉の裏には、星という存在がいかに彼を縛り付けるものであったかが伺える。

吉野シェフといえば、思い出されるのは小田原の「ステラマリス」だ。
地元の有機野菜にこだわり、自ら何度も農家に足を運ぶ。時には、地元の魚料理屋へ住み込んで働いた。こうして選び抜いた最高の食材に、吉野シェフのイマジネーションを加えた料理は、今でも美食家の語り草になっているほどである。
しかし、オープンして3年。全てが順当だったはずの「ステラマリス」を閉め、パリへ。
勝負の地をフランスへ移す。
「フランス料理をやっている人間にとって、一度は現地で勝負したいと夢みるよね。僕自身ずっとフランスで自分の力を試したいと思っていたし。だから、企業からパリの話をもらってチャンスだと思ったんだ」。 |
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満を持してフランスへ渡った吉野シェフを待ち受けていたのは、あまりにも過酷な現実だった。バブルという大きな時代の波に翻弄され、大企業に振り回され、吉野シェフは窮地に立たされる。4年間という貴重な時間を揉みくちゃにされ、潰された。
だが、正義とは必ず勝つものである。
吉野シェフの正義、それは料理に込められたアツイ思い。吉野シェフの作り出す料理は、人を魅了し、幸せにする力がある。いつしか問題は解決され、そして正義はパリのシャンゼリゼ通りを照らす「星」へと変わる。
小田原に輝いた海の星、「ステラマリス」のオープンだ。
「結果的にハッピーになればすべてはいいんだ。辛いことや苦しいことだらけだったし、回り道もしたけどね。今では全部冒険なんだ、と思える」。

「結果的にハッピーになれば…」。その言葉の意味すること。もちろん、「ステラマリス」オープンもそうだが、それだけではない。
ブランクとなった4年半、吉野シェフが出会ったもの。それが今のスペシャリテである、古典料理をみごとに復元したジビエ料理だ。特に、ジビエの中でもリエブルアラロワイヤル(野ウサギの料理。ルイ14世・16世が好んで食していたともいわれる)は、2000年にフランス1位に輝いたほどである。
吉野シェフは、フランス人よりもフランスの伝統料理・古典料理を巧みに作り上げる。日本人らしさを微塵も感じさせない、男性的な、ヨーロッパの料理を。
この日も喜界島の仔ヤギを使ったカルパッチョ、新作・鳩のトゥールトなどがテーブルに彩りを添えた。
パリで、日本で。世界中の人々を魅了する吉野シェフのジビエ料理。まさに世界の架け橋となる料理を創作するには苦悩もつきものだろう、と思うのだが…。
「パリや日本は古くからの食生活も違うし、人間性も違う。でも全てが刺激になるよね。自分を磨くきっかけになるんだ。だから料理はおもしろい」。
いくつもの困難を乗り越えてきたシェフの強さ、たくましさの表れなのだろうか。
きっとこのように考えられるからこそ、天才と呼ばれるのかもしれない。 |
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芝パークホテル
キュイジーヌ フランセーズ タテル ヨシノ |
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「伝統」、「素材」。そのコンセプト「大地(テロワ)の料理」。それらにこだわるのは、吉野シェフの生まれ故郷・喜界島の存在が大きい。
吉野シェフが生まれた、鹿児島県喜界島は江戸時代から豚や山羊を食べ、今では捕獲禁止の海亀も売られていたり…と本土とは異なる食生活がある。
吉野シェフも幼い頃から、飼っていた豚を殺し一頭を食すなど、素材の本来の姿に向き合う生活をしてきた。
「生まれ育ったところのものを、伝統的な手法で料理する。一種のスローフード的な考えと捕らえられるかもしれないけど、そうじゃない。僕が、喜界島の素材を使うのは親孝行という意識が強い。喜界島の産物を流通させること。生産できるビジネスとして考えているんだよ。
でもその根底には、昔からあるもの、伝統を大切にしたいと思う気持ちや、“喜界島”を大事にしたいと思う気持ちがあるよね」。
吉野シェフの料理にはその「こだわる」姿勢が表現されている。世界に認められた料理には、故郷を愛する心、素材を愛する心がつまっている。しかしながら、「もっと、もっと喜界島を通して、親孝行をしたい」と語る吉野シェフの飽くなき探究心。今後の展開が楽しみである。 |
Text by Eri Kadono |
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