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時計は、午後3時半。
前日に仕込んだ食材やソース、使い慣れた調理道具を車へ積み込み、吉田さんは、今夜アシスタントを務める鈴木さんとともに出発する。当初の出発予定時刻を30分ほど遅れたものの、到着予定の17時から瞬時に逆算し、最短ルートを確認する。
「うん、間に合う」。
呟いたその一言が、力強い。走り出したのも束の間、車内では「今日のお客様は、小さいお子様がいるから早めに切り上げて…」、「料理は前菜でサンマを使い、パスタはちりめんとドライトマトね。で、スープは…」と事細かに、打ち合わせが始まる。
大抵の仕事は一人で請け負うが、人数の多いときなどはアシスタントを呼ぶ。今日のアシスタントである鈴木さんの本職はバリスタ。以前、鈴木さんの勤めるカフェのレセプションに出張しに行った時に知り合い、以来、吉田シェフの呼びかけを受けては、時々きまぐれに出張料理人のアシスタントをしている。


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出発から1時間。目的地は目の前、のはずが、「まだ、時間があるから」と、車が滑り込んだ先は地元のスーパーだった。
「僕の料理は、デザートまで全て出し終わるまで未完成。ある程度は頭に描いておくけど、お客様の雰囲気や様子、食べるスピードなどを見ながら変化させていく。だからギリギリまで考え、悩んで、ようやく食べ終わるときに完成するんだよね。
思いついたらその場でスーパーに寄ったりすることもしょっちゅうだし、お客様の家の食材を借りたりすることもあるよ」と笑う。
吉田さんのきまぐれなスタイルは、料理にも活きているのだ。しかし、そこには揺るがない軸も存在する。
吉田さんの創造する料理は、野菜が中心だ。メインではもちろん肉や魚を出すが、「付け合せは飾りじゃない、まわり固める脇役たちが料理の味を決める」とし、調味料は殆ど使わず、水分も野菜本来の持つ水分を使う…、など、野菜の調理方法にはこだわりを持つ。

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午後4時55分。到着は、計算通り。深く呼吸をし、チャイムを鳴らす。「未だにしゃがみこむくらい緊張する」瞬間が訪れる。そして、静かに扉は開かれた。
挨拶を済ませ、鈴木さんとともに材料を運び込んだキッチン。どこに何があるのか、2人は収納をのぞき、記憶する。ディナーが始まったら、時間のロスは全く許されない。本日の食事は18時半頃に開始。コックコートに着替え、吉田さんは下ごしらえを始める。
アペリティフとなるピザの準備に取り掛かり、 メインのマグロのほほ肉を早くも焼きはじめる。

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ダイニングでは、鈴木さんがテーブルセッティングを進める。その際、吉田さんが必ず用意するこだわりのもの。それは、箸である。
「僕の料理は“和”じゃないけど、箸は必ず出すよ。日本人が一番使い慣れた食器だから。レストランと違って家なんだからさ、周りを気にしなくていいじゃない?
もちろんフォークやナイフを出さないわけじゃないけどね。食べやすいもので、使いやすいもので、自然に料理を楽しんでもらいたい」。


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時計が18時を指す頃、ゲストが集まりだした。2人の動きが迅速になる。キッチンの中の空気がピンと張り詰めた感じだ。
前菜の盛り付けを始めると同時に、ジャストなタイミングでピザが焼きあがり、今宵の饗宴がいよいよ始まる。

みなさん、どうぞ ―。
ホストの一声で、ディナーの幕は上がった。吉田さんは空になった鍋や皿を洗いながら、次なる「レンコンと豆腐の冷製ポタージュ」の準備、そしてパスタに絡めるソースの準備にとりかかる。
ダイニングルームでは、会食者たちが先程の前菜を味わいながらおしゃべりに興じる。明るい笑い声が響くのとは対照に、吉田さんは黙りこくったまま、ベストを目指し、全神経を料理へ傾ける。
「もちろん、会話に加わることもあるし、一つ一つ料理の説明をしながら出すこともある。でもね、今日の雰囲気は違うんだ。料理は主張しなくていい」。
「料理を作るだけじゃなく、料理を味わう空間をつくること」が出張料理人の仕事であるという。瞬時に空気を読み、雰囲気を掴む。一番大切なことであり、そして、これが一番難しい。「どれだけ出張しても、決してHow toは作れない。毎回がチャレンジ」と語る。

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スープ、パスタ、そしてメイン。流れをとめることなく、料理は運ばれていく。そして、ディナーが始まって約1時間が経過。締めくくりとなるデザート、クリームブリュレがサービスされる。すると、「シェフ、最初の前菜の魚は何?」、「パスタのソースが…」、「どの料理も本当に美味しいよ」……と、会話の話題が吉田さんの料理へ変わった。
「本当に素晴らしい料理だった!」と強く手を握られ、吉田さんの顔に笑顔が広がる。アシスタントの鈴木さんにも安堵の色が伺える。
その後、吉田さんが、会食者たちの質問攻めにあったことはいうまでもない。

開始から2時間。20時半を迎える頃、扉は静かに閉められ、この日の出張が終了した。

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出張料理を始めて、6年。
今年、出張料理「きまぐれや」は、新たにお店を開いた。
出張料理同様、名前もなければ、メニューもない。食べに来る人の「きまぐれ」に合わせ、その日揃う最高の食材で私たちをもてなしてくれるお店だ。
だが、いつでも気軽に…というわけにはいかない。そこは、出張料理「きまぐれや」。常にお店にいることは出来ないため、あらかじめ予約をする必要がある。
しかし、「予約制」にはもう一つの理由がある。
「人それぞれ、好みも違えば、その日の体調も変わる。お客様の様子を見、会話をし、その人にとってベストな料理でもてなしたいと思う。だから、お客様には申し訳ないと思いながらも、予約をしてもらって、時間をずらしながら1組1組、充分な時間を取っていきたい」。
お客様のことを第一に考え、お客様の「きまぐれに」合わせた料理を提供する。お店を構えても、変わることのないスタイルだ。

 

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変わらないスタイルには、吉田さんが料理人となった経緯が由来するかもしれない。
吉田さんは、もともと料理人を目指すつもりはなかったという。ただ、「仲間が集まると、料理を作るのはいつも自分だった」ように、誰かのために料理を作る喜びは常に感じていた。そして気づけば、その「誰か」は「仲間」から「見ず知らない、誰か」のためへと広がっていった。
そのため、料理人となった今も「シェフ」と呼ばれることに抵抗があるという。
「シェフっていうと、どことなく敷居の高いイメージがあるでしょ。それに、出張料理人というと、顧客は上流階級ばかり、と連想されがちで…。でも、実際はそんなことはない。本当に様々な人から依頼がくる。その依頼をしてくれた全ての人を、料理でもてなしたい。その人たちだけのための料理を作りたいんだ」。

吉田さんの料理を、一度でも食べたことのある人ならきっとわかるだろう。
美しさだけを身に纏った料理ではない、心にじんわりとくる不思議な味わい。どこか懐かしくもあり、あたたかい。料理に対する奢りは一切なく、そこあるのは謙虚さと食べてくれる人への感謝の気持ちだ。

料理を食べてくれる、誰かのために。今日も出張料理人は、扉の前に立つ。



きまぐれや

お店
東京都羽村市羽中4−8−21
ランチ  11:30〜15:00
ディナー 17:30〜22:00 ※ディナーは完全予約制

お問合せ
電話番号/FAX 042-578-0725
携帯電話番号 090-4246-0111
E-mail contact@kimagureya.org

http://www.kimagureya.org/



Text by Eri Kadono
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